私には現在中学三年生の息子がいます。
息子は色弱があり、色によっては見づらかったり区別が付きにくかったりします。
息子が色弱ということを知ったのは小学四年生のときなので、今から5年ぐらい前でしょうか。
以前より学校の授業で字が見にくかったりしてきたので、視力をきちんと測ってもらおうと思い眼科に行ったときでした。
眼科の先生に「お子さんは生まれつき見にくい色がありますよ」と言われました。
息子に色弱があるとわかってから、今まで過ごしてきて感じたこと

息子の色弱がわかってから5年ほど経ちますが、至って普通に生活しています。
先日、色を見やすくする「ネオダルトン」のレンズを購入するときには、子供が落ち込んだりもありましたが、今ではそれも立ち直って何事もなかったかのように過ごしています。

この記事では息子の色弱について、自分なりに感じたことを書いていきたいと思います。
色弱について知る
あまり色弱について知らないと、色弱というのが「色が全然見えないんじゃないか」、「障害で将来仕事に就けないんじゃないか」、「ひどくなって色が全く見えなくなったらどうしよう」とか、色々と心配が膨らんでしまいます。
子供が色が見えにくいと言われたら否応なしに調べてしまいますよね。
ただ、色弱とはどういうものか、ということをきちんと把握していれば、過剰に不安になることはないと思います。
私も、子供はどの程度色が見えないんだろうと、とても不安になりましたが、色が見えないと言うよりは「私たちとは違う見え方をしている」というのが正解です。
そもそも小学4年生になって、眼科に行くまで子供も私もそのことに気づかずに生活してきたのに、過剰に心配するような不自由はあるはずもありません。
息子もそのことを知ったときも現在も、自分が色が見えにくいということをそれほど気にしていません。
確かになれない職業というものもあるのですが、色弱でなかったら間違いなくその職業に就くのか?と言われればそうでもないことがほとんどだと思いますし、今は昔に比べて就ける職業がかなり増えています。
色の見え方は良くなりませんが悪くなることもないですし、今はユニバーサルデザインが普及して色が見えにくい人でも見えるようにと意識して教科書なんかも作られています。
こういってことを知っているだけで、不安はだいぶなくなるのではないでしょうか。
ネオダルトンのレンズを作りに行ったとき、どのくらい色が見えにくいかの検査をしたときは、普段気にした事がなかった色が、自分はこんなに見えないんだということを正面から突きつけられたような感じがしたようで、落ち込みっぷりはかなりのものでした。
ただ、落ち込んでいたのは一時だけで、今はレンズで今までと違った見え方がするのが楽しいようです。
うちの場合は変に慰めたりせずに、子供が色の見え方のことを自分の中で消化できるまで待ったのですが、それで良かったと思います。
子供の色弱について親は過剰に気にしない

我が家は普段から会話は多いです。
色々話をしている中で「これ何色?」とか「これとこれ、同じ色に見えるからどっちかわからん」と言われたときは説明しますが、普段は色が見えにくいということを私も子供も正直忘れています。
それぐらい日常生活で支障はないです。
色とりどりの花畑を見たときや、花火を見たとき、絵を見たときなどは色が見えにくいんだな、ということを実感したことがありましたが、息子も花火や花を見て確かに「綺麗」と感じているんです。
息子は花火がとても好きなので毎年夏は一緒に花火を見に行っていたし、富良野に花畑を見に行ったり、絵を見るのが好きなので美術館に行ったりもします。
逆に「子供は色が見えにくいからここには連れて行かないほうがいいかな」とか「花畑を見せても私たちと見え方が違ったら子供が可哀相だから」なんて思いながら生活するほうが可哀相だと思います。
私と息子は同じ見え方はしていませんが、一緒にいて同じものを見て綺麗と感じているというのは、色弱でも色弱でなくても変わりません。
唯一支障で思い当たることは、息子は肉が焼けているかがわからななくていつも私が焼いてあげるので、焼肉をしたときなんかは食べ盛りの中学生の肉を焼くのが忙しくて私が焼き肉があまり好きではなくなったことです。
子供の色弱は親に責任はない
子供が色弱と言われると、どうしても母親は責任を感じてしまうと思います。
私も医師から言われたときには子供に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
ですが、遺伝というものは自分ではどうしようもできないので防ぎようがないですし、責任を感じても仕方がないと言えば仕方がないんですよね。
息子に色弱があるということは私が「保因者」ということになるのですが、私を産んだ親を責めても仕方がないことですし、それを言うなら代々の先祖を責めなければならないのですが、そんなことをしてもどうにもならないですよね。
大きくなれば遺伝というのがどんなものかはわかってきますし、息子も私のせいではないということも理解しているので親を責めるということもありません。
(色弱のことでは責められないのですが、天然パーマに関してはなんてことしてくれたんだ、と非常に責められます・・・)
親は過剰に責任を感じたり罪悪感を感じたりせずに、楽しいことを子供と一緒にどんどん経験して行った方がいいですよ。
出来ることはやる

息子は色が見えにくいので、学校の授業でチョークの色によっては字が見づらかったり、授業で教科書の絵や写真の判別がしにくいこともありました。
そういうときは「子供が色弱があるので、見えづらくて授業がわからないときは質問することがあると思うのでお願いします」と学校に私からお話しました。
ネオダルトンのレンズを購入したときもレンズに色が入っていて見た目がサングラスのようなので、学校にレンズを持って行かせて欲しいということを学校に連絡して承諾をもらいました。
やはりそういうことは親の役割なので、出来る事はやっていくつもりです。
子供には子供の世界がある

息子は生まれたときから今まで息子が見えている色の世界で生きてきています。
私は色弱のことで息子に対して罪悪感を感じたり責任を感じたりすると、なんだかその息子の世界を否定してしまうような気がするんですよね。
なので、例えば色が見やすくなるレンズのことにしても私から提案はしましたが決めたのは子供ですし、レンズをつけさせて私と同じ見え方にさせたい、とは思いませんでした。
試してみて子供が欲しいと言ったら購入しよう、ぐらいなものです。
レンズをつけても「普通の見え方になる」のではなく、あくまで子供にとって「普通の見え方」は今まで生きてきて見てきた世界の方だと思うので、レンズをつけて「色の区別がつきやすくなる、違う見え方も経験できる」ものだと思っています。
まとめ
子供が色弱ということがわかったら、親としては色々な思いがあると思います。
ですが、悩んでも悔やんでも本当にこればかりはどうしようもないんですよね。
私もかなり罪悪感を感じたり悩んだりした時期もあったのですが、悩んでも仕方ないことを悩むより前向きに楽しいことたくさん子供と経験した方が良いと吹っ切りました。
今、もし子供が色弱ということがわかって罪悪感を感じたり責任を感じているお母さんがいたら、暗い顔をしていても子供は喜ばないですし子供は「可哀相」と思われても逆に困ると思います。
それより出来ることはやって、考えても仕方ないことは考えない、と楽しく生活した方が子供も自分も充実した毎日を遅れますよ。